「美しい夏キリシマ」


― この文章は、獨木舟文学館館長(珈琲の店獨木舟マスター)田中元三氏が、黒木和雄監
督作品「美しい夏キリシマ」を観た後、この映画に関する印象をまとめられたものです。    
田中氏の了解を得て、竹崎の責任の上にここに掲載します ― 


                   











 地下鉄中央線の「九条」駅を降りてすぐ、アーケードを具えた思ったより道幅の広い商店街を
南へ、最初の辻を右に折れて、商店街の裏筋にあたる通りをさらに南へ一筋行った路地の入
口のところから、若い映画好きの友が教えてくれたとおり、その映画館は見つかりました。古い
マンション風の建物の端の方に〈映画館〉と絵の具でそれだけ書いた看板が立てかけてあるの
が目に入ったのです。大阪で唯一『美しい夏キリシマ』を上映している映画館です。勿論《シネ・
ヌーヴォ》という立派な名前がありました。                               
             
私がどうしても「美しい夏キリシマ」を観たいと思ったのは、文字通り美しいその題名にひかれ
たことと、この映画を作った監督が、以前に観た『TOMMRROW/明日』の黒木和雄と知ったか
らです。                                                   
 遠い記憶の彼方に去った部分も多いのは残念ですが、『TO・・・/明日』は、長崎に住むごく
平凡な一家を中心にして、戦局がすでに大きく傾いた地方都市の或る一日を描いた群像劇で
した。しかしその明くる日、長崎に原爆が投下された瞬間、その家のお年寄りから道端で戯れ
ていた幼い子供達まで、その画面に登場したおそらく全ての人々の生活は一瞬にして幕をお
ろします。そしてスクリーン全体を白く閃光が煌いた瞬間、映画もまた終わります。    
十年以上のときを経て、その黒木和雄が再びこの時代を取り上げたことを知ったのです。「戦
争中の雰囲気と今の空気が非常に似てきていて、そのことを最後の戦争世代としてきちんと伝
えたいという思いに強く背中を押されるようにして」と、彼は『美しい夏キリシマ』の制作の動機
を語っています。                                             
  黒木自身には、15歳のとき勤労動員先でグラマンの爆撃に遭い、隣にいた親友が死にかけ
ているのに、恐ろしくなって逃げ出したという実体験があり、それ以来、彼は生き残ったうしろ
めたさをじっと内に抱え込んできたのだそうです。「ともすれば、あの日の記憶のすべてを忘却
の穴に投げ込んでしまいたい衝動にかられた」と、彼は正直に告白しています。事実、自らの
「恥多き体験」をベースに映画を撮ることにも当初逡巡があったと言います。しかし、彼の中へ
くり返し喚び戻されるあの物言わぬ紅顔の死者たちの意志を、ながい時の流れの果に、今、
別の解釈、別の物語に簒奪しようと謀るあらゆる瞞着にはあくまで抗していきたいというやみ
がたい怒りが彼の背中を押したということです。                            
 例の立看板が見えた入り口をはいって、すぐ右に短い階段を下りたところが、売店も兼ねた
《シネ・ヌーヴォ》の切符売り場でした。その先の廊下にあたる部分が待合室になっているよう
です。薄暗い照明の下、先客はまばらでしたが、壁際に丁寧に並べたファン向けの小冊子や
案内に目を遣っているうちに、お客さんの数も徐々に増えてきました。その中に目だって高齢
のご婦人がおひとり、「わたし、この映画が見たくて、ここまでやってきました」。         
 建物の半地下と一階部分を使ったと見える百席足らずの館内は、その分高く感じる天井のと
ころどころから、不揃いの細い金属製の輪を連ねたオブジェ様のものが吊り下げてあります。
そしてよく見ると、その輪の列が、これも全体を抽象画風に仕上げた黒っぽい天井に微妙な影
を返して、下町のミニシアターに、どこか異空間の雰囲気を醸し出しています。結局、この回の
観客は二、三十人ばかりだったでしょうか。                              
  
 『美しい夏キリシマ』は、夏空いっぱいに霧島連山が広がって見える村の中を少年が自転車
にのって走って行くところから始まります。                               
 彼は病気休学中で、この村の祖父の家で暮らしています。病名は「肺浸潤」ですが、動員先
の空襲で即死に近い重傷を負った親友を見捨てて逃げたうしろめたさが、深い傷になって彼
の心を侵しているのです。彼はこの映画の主要な登場人物ですが、所謂物語の主人公という
のとはちがいます。彼の祖父が家長として君臨する地主一家と、その一族と関わる人たちをめ
ぐる、この映画もまた『TO・・・/明日』と同じ群像劇です。                    
  美しい自然に囲まれた、こんな穏やかな山村の日々変わりない営みの上にも、戦争の落す
暗い影は次第にその色合いを濃くしています。
 敵の上陸に備えて、近くの野営地に駐屯する若い兵隊と情事を重ねる村の中年女の家の仏
壇には、戦死した亭主の、石しか入ってない遺骨箱が置かれています。
 この地から出陣する特攻隊員の恋人を密かに見送るために、地主の娘はわざわざ東京から
帰ってきます。その時局に背いた派手な洋装は、きっと内面の怖ろしい不安を隠す勝気な彼
女の鎧なのでしょう。
 祝言の夜、俯く花嫁の美しいうなじに寂しい眼差しを向ける男の肢は義足でした。花ムコは
南方の戦線で右肢を失った心優しい悲しい帰還兵でした。
 動員先の空襲で兄を失った幼い妹はヒマがあったら屋根にのぼって、凝っとはるか遠くに目
を遣っています。目の前にひろがる霧島の山並みも、少女にとっては、自分の視界を遮る邪魔
モノでしかないようです。背スジをのばして、毅然としたその拒絶の姿勢に、赦しを乞いにやっ
て来た少年はなすスベを知りません。 「おいは・・・・・・どうしたらよかかな・・・・・・」ようやく、祈る
ような彼の問いかけに、彼女は答えます。「・・・・・・じゃあ、カタキを取ってください」「兄の仇
を・・・・・・討ってください」。
 そして、少年はこの一言に自分のすべてを賭ける決心をします。

 問題のこの悲惨な空襲のシーンは画面には出てきません。いや、この映画では戦争の生な
ましい映像は一切、スクリーンに寫し出されることはないのです。戦争は、美しいキリシマに照
る烈しい夏の陽光の中で演じられる物語に古典劇の隈取りをほどこすさし迫った死の影とし
て、ひたすら舞台の奥に潜んでいるのです。
 しかし、これは作り手にとって危険の多い困難な方法です。死を背景にした物語は常に美し
いからです。それゆえに《あの時代、人々はみな文字通り命を懸けて真劍に生きていた》と、全
ての記憶を美しい追想へ誘い込む仮借ない時の流れに眞っ向から立ち向かわなければならな
いからです。殊に、禁欲を迫られたあの若者たち一人ひとりの、官能の翳りを秘める潔い眼差
しを一括りの犠牲の美学の中に回収しようとする企みに正面から向きあわねばなりません。そ
れでも、この映画を撮ると決意したときから、当然それは黒木の覚悟していたことです。徒に戰
争の惨禍を告発する安易なプロパガンダ映画は、本来彼の選択にはありません。日常的な時
空間にひそむ戰争の影を、濃密な劇表現の中にとらえる技法は既に『TO・・・/明日』で試みら
れ、自分なりの手応えをつかんだと彼は言っています。その題名に示した通り『美しい夏キリシ
マ』を、若くして逝った無辜の魂の真実の意志、その短い命の真正の記憶を伝える限りなく美し
い嘆きのレクイエムに仕上げねばならないと、彼は最初から心に決めていたのです。

 村の土手の道をジープを先頭に占領軍の隊列がやって来ます。畦道から少年が竹槍を持っ
てその米兵の列に突進します。そして無様に土手下に押し飛ばされます。米兵達が笑っていま
す。竹槍を手に土手下を走りながら少年は叫びます。
「殺せ―!撃て―!殺せ―!殺せ―!撃て―!撃て―!殺せ―!」
 兵隊の一人が戯れに空に向けてライフルを一発撃ちます。少年は胸を撃たれたように倒れ
ます。米兵の列が遠ざかってゆきます。
 
赤ん坊を背負ったあの幼い少女が歌う子守唄が、エンディング・タイトルと共に流れます。
 「泣くなょ〜いい子だから〜涙みせるな〜男でしょ」

 少年の贖罪はなったのでしょうか。

 勇ましい「標語」を声高に唱えて、反対の声を封殺するあの戦時中に似た現在の風潮に、黒
木和雄と同じ戦争を知る最後の世代の一人として、私も大きな不安を抱いています。では、何
をどうすればよいのか。世間の渦に巻き込まれないどんな言葉で、戦争を知らない世代に、今
自分がもっとも大切と思うことを、どう伝えればよいのか。先程こちらに来るときには気付かな
かった、懐かしい時代の名残をあちこちにとどめる下町の商店街を帰りながら、そしてこの拙
文を書き了えた今も、私はそのことをずっと考えつづけています。
 


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